ご家族の相談依頼を受け、訪問して近況についての相談をお受けした際、認知症をもつご本人さんが同席され、
「あなたは?どちら様でしたか?」
「あ~そうでしたね。う~ん、どこかで会いましたか?」
「今日は何の用ですか?」
といった質問をいただきながら、ご家族からお話を伺っていると
ご本人が「あ~そういえば、前に私、伺いましたよね?」
「広場があって、何か皆で食べたりしたような気が…。」
「そうでした。訪ねていったと思います。しばらくぶりですね。」
ご家族と一緒に相談室に訪ねていただき、お茶菓子を食べながら相談をお受けしたことが最初の出会いでした。あれから数年が経ち、しばらくぶりに訪問させていただいたわけですが、ご本人さんが記憶の糸を辿りながら時間をかけて、「私との出会い」を思い出してくれました。
「忙しいんでしょ?」「迷惑をかけてしまってますね。」と二言、三言話した後、「広場があって…。」と繰り返しの話題に。
繰り返し同じ話しをする様子は、私が誰だかはわからなくても、以前に家族と行った場所の人であり、自分にとって面倒な人ではないということを知っていると私を気遣う感じがしました。
帰りには、私の車が見えなくなるまで、外玄関の前で頭を下げている姿をバックミラーで見ると、私のような若輩に深く頭を下げて見送る姿は言葉にできません。
できなくなる環境づくりではなく、できること、わかることに着目することがいかに大切であるかに加えて、その先の備えをご本人やご家族と一緒に考えていくようなつながりが何よりも必要だと強く思う機会をいただいたように思います。
先日、とある小説家がTVのインタビューでコメントしていた
「認知症の人は、過去の記憶と現在の記憶の中で平行して生きているところがあるのではないか。」と話していましたが、今現在と過去の中で暮らしているのだとしたら、おそらく本人の戸惑いも多く、周囲からは誤解を受ける行動や考えにみえると思いますが、現在、過去の平行した世界の中に「安心」できる時間や場所つくっていくことができるのなら、少しでもご本人にとって「穏やかな時間」を生み出すことにもつながるように感じます。